ヨガの目的って何だろう?

「ヨガ」という言葉はサンスクリット語で「結ぶ、つなぐ」という意味があります。
ヨガの目的は何かと何かをつなぐ事のようです。

そして、何かと何かをつなぐ為にはAとBのように2つが必要になります。
では、この2つとは何でしょうか?
それは「自分」と「自分の本質」です。
ヨガは「自分」と「自分の本質」をつなぐ行為です。

では、「自分」と「自分の本質」とは一体何のことでしょうか?
ぼんやりした言葉なので、はっきりしたイメージは持ちにくいかと思います。
例え話を混ぜながら一緒に考えていきましょう。

「自分」とは、私という意識を表しています。
例えば、誰かが私の近くで「たつろうさん」と言ったとしましょう。
私は自分の名前が呼ばれたので「はい。なんでしょうか?」と反応します。
誰かが「自分」に用があると認識したわけです。
自分の名前、自分の肉体、自分の能力、自分の財産、自分の家族
列挙すると「自分」という言葉のイメージがはっきりしてきます。
「自分」の意味は、私は存在している。私だ。というという感覚です。
「自分」という考え方は生活する上で必要なので身近に感じられます。

では、「自分の本質」とは何でしょうか?
こっちは、普段の生活では使う機会はなさそうです。
使われる機会がないので、言葉の意味が全然わからないという方もいると思います。
けれど、そんなものです。人生には知らないことが沢山あります。
「自分の本質」は馴染みのない考え方(概念)なので理解しづらいものです。

輪廻転生という言葉を聞いたことがありますか?「自分の本質」の説明には輪廻転生が適しています。輪廻転生は映画やドラマ、アニメ、漫画等のエンターテイメントでも取り上げられています。

日本に伝来した仏教の場合、何故か輪廻転生の概念が抜け落ちてしまっていますが、オリジナルのインド仏教や中継地点のチベット仏教には輪廻転生の考え方があります。

輪廻転生とは、人間は死ぬと別の人間に生まれ変わることです。
チベットでは指導者ダライ・ラマが死去すると、ダライ・ラマが生まれ変わった子供の探索が始まります。ダライ・ラマの魂は新しい肉体(子供)に宿り、そして成長し、再度ダライ・ラマとしてチベットを導くと考えられています。

輪廻転生という考え方は、人間と洋服の関係に似ています。
私たちは服を着ます。そして、何年も着ていると服は汚れたり、やぶけたりします。
その場合、古い服は捨てて、新しい服を着きます。
魂は肉体を着て地上で約80年活動しますが、肉体の寿命が来るとそれを脱ぎ捨て、新たな肉体に着替えます。

「自分の本質」の話に戻りましょう。聡明な皆さんは既にお分かりか思いますが、肉体から肉体に移る魂が「自分の本質」です。

輪廻転生という考え方を初めて聞いた人もいれば、何度も聞いたことがある人もいると思います。
ここで、例えばの話ですが、仮に輪廻転生という考え方を受け入れたとします。
すると、人生が大きく変わってしまいます。
一言でいえば”おおらかさ”が備わります。これは例えるなら、砂漠にオアシスが現れるのと似ています。いつの間にか、しかも、自分の中から”おおらかさ”が現れてきます。
いつもギリギリで生きていたのが、ゆとりを持って生きられるようになります。

例えば、今回の人生は、不幸や困難が山盛りの人生だとします。
他の人が当たり前に持っているモノが手に入らない人生かもしれません。
心から信頼していた人に裏切られて心底傷つく人生かもしれません。
苦労して手にしたものを無理やり奪い取られる人生かもしれません。
満たされない気持ちや他人への嫉妬や憎悪から人間の心は黒く染まっていきます。

しかし、輪廻転生の視点から人生を見ると、たとえ苦しい人生でも何千回もある人生の1回だと考えれば苦しみが和らぎます。そして、苦しい人生だとしても、別に人生が失敗しているわけではありません。「望みが叶わない気持ち」「困難が多い時の気持ち」「不幸に見舞われるときの気持ち」という貴重な経験を積んでいます。
人の心は筋肉トレーニングと似ています。筋トレは負荷をかける事で筋肉を強くします。心も同様です。苦しみという負荷があれば、心は成長します。楽な人生では成長がありません。

人生が一度で終わると考えると身勝手な行動を起こしがちですが、何度も人生を生きて成長の途中なのだと考えれば人間として立派な行動を目指すようになります。

輪廻転生の目的の1つは、人間として経験を積むことです。人を愛したり、愛されたり。人を助けたり、助けられたり。人を殺したり、殺されたり。何かを十分に理解するためには複数の視点から見る必要があります。そのために私達は、短編映画のようなことを何度も何度も繰り返します。そして、愛を理解したり、恐怖を理解したり、身勝手さを理解したりします。

人間は老化し、病気になり、死を迎えます。これを避けて通ることはできません。
しかし、自分の肉体が老化していく姿を見るのは苦しいことです。
肌の張りは無くなり、しわやシミが出来て、毛が抜けて、歯が抜けます。
しかし、「自分」と「肉体」は実は別のものです。自分≠肉体です。例えるならば、自動車に乗っている運転手です。運転手は移動手段として自動車に乗ります。ドライブ中は運転手と自動車は一体のように見えますが、その様に見えるだけです。別々の存在です。
別の例えをするとロボットです。ガンダムみたいな。私たちはコックピットと呼ばれる操縦席に座り、ボタンやらレバーやらを器用に扱い「肉体」というロボットを操っています。

「肉体」は自立した生き物です。「自分」の意識で「肉体」一部を動かせますが、動かせない部分もあります。例えば、心臓は勝手に動いています。「自分」の意識は介入できません。内臓の活動や汗の制御、細胞の複製や傷の修復など「肉体」が独自に制御しています。
「肉体」は動物です。「自分」の意識よりも動物としての本能が優先される場合があります。例えば、自分の生命が脅かされる場合は、全身が恐怖の感情に包まれ理性が働かなくなることがあります。道徳に反しても生存を選ぶ場合がありますが、これは肉体の欲求が優先された結果となります。また、強い怒りを感じたときは全身が怒りの感情に飲み込まれ理性が働かなくなることがあります。我を忘れて行動するような時は「自分」の意志よりも「肉体」の意志が優先されています。

私たちの乗り物が古くなったとしても、心を痛める必要はありません。輪廻転生の考え方ではまた直ぐに新しい乗り物が用意されています。いつまでも戦闘でボロボロになったガンダムに乗り続ける必要はありません。少し我慢すれば、新しい機体が与えられます。ピチピチです。

輪廻転生をさらに大きな視点から眺めてみましょう。
「自分の本質」は色々な肉体に宿り、色々な国で色々な人種を体験します。
男性を経験したり女性を経験したりします。
優れた知性や能力を持っていたり、反対に障害があったり病弱であったりします。
権力者や富豪の家に生まれることもあれば、平民の家に生まれたり、親がいない時もあります。

私達は地球上で一体何をしようとしているのでしょうか?
この疑問が浮かんで来るとヨガの道を歩み始めます。
そして、ある人生の「自分」が「自分の本質」とつながった時、
ヨガの目的が達成され、すべてを知ることになるそうです。


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