良い怒り(自己防衛の怒り)

人間は怒りを向けられるとその相手に怒りを返そうとする性質があるようです。
しかも、正しいか正しくないかという理性的・道徳的な問題とは無関係のようです。
どうやら、「やられたらやり返す」という動物的な本能がその背後にあるのでしょう。

人間である私達が怒りを感じる事は当たり前のことです。怒りを感じる事に対して負い目は持たないようにしましょう。大切なのは感じた「怒り」を表現するかどうか、またはどの様に表現するかです。

仕事や社会生活で問題を起こさないためにも、怒りを自分の中にキープするということは大切なことになってきます。その方法は「怒りのコントロールは肉体を感じる事が第一歩」を参考にして下さい。

もう一つ。知っておきたいことがあります。
怒りは仏教で三毒の一つと数えられています。人間の精神的成長にとって有害な存在ということです。
「怒りは人間の成長を止めてしまうから手放さないといけない」このような事を聞いたことがありますか?私はそれをずっと信じ切って、怒りを感じる自分を否定してきました。

しかし、「怒り」に関して深く理解するにつれ、一言で「怒りは悪い」と決めてしまうのは危険な事だと理解し始めました。

怒りは何種類もあって、その中には良い怒りもあります。良い怒りは、自分を守る役割をします。動物として肉体に備わっている「生きる」ために必要な機能です。「窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)」という言葉があります。弱い立場の人でも追いつめられると反撃するという意味です。自分を守るため、生き残るための行動です。強者は弱者をいじめるものですが、弱者が自分の権利や命を守るためには怒りの強い力が必要です。私達は不当に扱われたときに怒りを覚えますが、これは心理的な防衛機構でしょう。

もしあなたが怒りを感じた場合、その怒りの意味を考えてみましょう。それがあなたの人権や正義を守るものであれば、その怒りは否定すべきものではありません。

世の中には、身勝手な人間や不徳な人間も生きています。彼らは人を操ったりだましたりします。自分を守るために怒りという強いエネルギーは必要な場合もあります。
極端な事を言っているわけではありません。あなたの身近にもきっといるはずです。
100%身勝手な人や100%不徳な人はいません。彼らもルールを守るし、良い部分も持っていたりします。また、手本にすべき部分や尊敬すべき部分を持っている場合もあります。100%の善人が居ないように100%の悪人もいません。
そして、問題なのが、ある特定の人だけに対して有害で、他の人には無害であることです。

身勝手な人や不徳な人から迷惑をかけられたり、嫌がらせされたりする場合もあるでしょう。その時は怒りを感じるのが当然です。その怒りは否定されるべきではありません。


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